東日本大震災から10年

まもなく東日本大震災から10年を迎えます。

今回は家族のこと、HANPAはすぬまに掛けている時計のことに関して少し紹介させて下さい。

私の義理の両親は当時福島県相馬市に住んでいました。義妹や親戚も近くにおりました。あの大きな揺れの後、実家の両親や妹と連絡が取れましたが、津波の後に妹や親戚と連絡が取れない日が数日続き、心配したことを覚えています。

幸い皆無事で、それぞれの自宅も大きな損傷を得ずに済みましたが、その後父は認知症が進行し、今は住み慣れた福島を離れ、グループホームで生活しています。つい先日も福島では震度6強の地震がありましたね。今は一人暮らしをしている母は余震を心配し不安な日々を送っています。あの地震がなかったら、両親も違った生活を送っていたかもしれない…と時々思います。

父との思い出のひとつ。一緒に散歩をした時に、赤い小さな花をつけた草をたくさん見つけました。
その頃記憶力はだいぶ低下していましが、庭の手入れや家庭菜園を趣味にしていたので、草木の名前は覚えているものも多く、私にも良く教えてくれました。
「この草は雑草ですかね?」と尋ねたところ、「雑草という名前の草はないんだよ」としっかりとした口調で、答えが返ってきました。
…確かに、雑草にもそれぞれ、きちんと名前がついています。

今は認知症が進み、会話をすることも難しくなってしまいましたが、雑草がそれぞれたくましく育つように、どんな状況に置かれても、私たち人間もそれぞれにたくましく生きていくんだ、という父からのメッセージではなかったのでは…と感じています。

弊社で運営している「HANPAはすぬま」には”動かない”柱時計があります。
この時間、何の時間が分かりますでしょうか?

実はこれは父が生まれ育った福島の家にあったものです。年代物で、震災が起きた時すでに時計は動いていませんでしたが、記憶に留めたい、と揺れが起こった14:46に針を合わせました。

隣に置いた「PRAY FOR JAPAN」は、3.11の時に世界中から日本に寄せられたメッセージを纏めた本です。